「『寒くないの?』の声かけだけで不審者扱い」世界一血が通わない国・日本で進行する孤立化という病

つい最近の出来事で、家にある要らない冷蔵庫や金物が欲しいと言って来た身なりも悪いが人相は「ねずみ男」をもっと気持ちを悪くした男性が家に訪ねてきた。         家には壊れた電気器具などがあり、取り外しが難しい室外機も数機あり、仲間3名でそれらを持って行った。             気味の悪い男女2名夫婦?ねずみ男の3名だ。                 気味の悪い夫婦?の女の方が非常に図々しく家の中を物色をして、何かを私が食べていると「何食べているの」と声色を変えて呉れというのだ。              可哀そうになったのであれこれと食べ物を上げたら、今度はねずみ男までこれもあれも呉れと言い出した。           その時に変な同情は私自身の身を亡ぼすと思った。

その2,3日後またねずみ男が家に訪ねてきて、あれこれ物色して、くれくれと言い出した。                   「600円しかお金が無い」とか「食用油を買いに行ったら100円で買えると思ったら100円では買えない」と執拗に言っていた。                 家の中を物色して回り本当に気味が悪かった。                  あれこれ欲しそうな事を言っていたが、無視をしていたら「これ頂戴」と言って持って行ってしまった。                帰り際に「また来るわ~」と言ったので、こんなのが来るのはまっぴらごめんだと思い「もう、来んでもいいわ」と言ったら、きょとんとした顔をして出て行った。    なんか恐いリアル妖怪に目をつけられてしまったようだ。               今後、こういう変な人達を家に入れたり、同情をするは止めようと固く思ったわ。 近所のおばあさんに少し親切にしたら、そのあと、うっとしいぐらいに話しかけられて困ったことがあった。        親切にするもんじゃないとその時も思った。                 人の好さを見せると、変な人達が群がって来るような気がする。                

 

 

 

 

「『寒くないの?』の声かけだけで不審者扱い」世界一血が通わない国・日本で進行する孤立化という病

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プレジデントオンライン

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ururu

 

■人に頼るより、人を恐れる社会になっていく  先日、こんなことも目撃した。  JR新橋駅のホームで、高齢の大柄な男性が体調悪そうに立っており、それを小柄で上品そうな同年代の奥さんが必死になって支えていた。今にも倒れそうな男性の横を大勢の人が気づかぬように、横切っていく。  見るに見かねて、声をかけると、奥さんは最初、「大丈夫ですから」とサポートを固辞された。「本当に大丈夫ですか」と私が畳みかけると、申し訳なさそうに、「(夫の)気分が悪いので、休ませたい」と言う。しかし、近くにベンチはない。私が片方の肩を持ち、何とか連れていけないかと考えていると、幸い、通りがかった中年の男性が、「私がおぶって運びますから」と助け船を出してくれた。ちょっと離れたベンチまで運んで、高齢男性を座らせたが、男性は本当に具合が悪そうだ。  「救急車を呼んだほうがいいかもしれませんよ」「ほかに何かできることはありませんか」と声をかけたが、奥さんはとにかく恐縮しきりで、「申し訳ありません」とひたすらに頭を下げて謝り、「お名前を教えてください」と私たちに何度も繰り返すばかり。まるで、助けを求めることが「迷惑」であり、すべてを自分たちで解決しなければと思い込んでいるかのような様子に、胸が締め付けられた。  2021年7~9月、JRを含む交通事業者83社合同で「声かけ・サポート」運動を展開した。だが、こうした啓発活動もむなしく、人々は「自己責任」「迷惑」という意識に縛られ、ちょっとしたSOSサインを出すこともためらう人がいる一方で、助けたくても「かえって迷惑かも」「お節介かな」「嫌がられるかな」などと遠慮して、声をかけられない人がいる。  職場では異性社員の容姿をほめてはいけない。結婚しているかどうかを聞いていけない。就活の面接では学生に好きな本を聞いてはいけない(「就職差別」につながる「不適切な質問」として厚生労働省が質問しないように指導している)……。昨日までは許された言動が、今日はご法度になっている。  どんどんと変わる「コミュニケーションの常識」になかなかついていけないから、口を閉じるしかない。特に、リスク回避志向の強い日本では、人付き合いがもはやリスクでしかないと、「人の断捨離」を推奨するなど、他人を遠ざける風潮も広がっているように感じる。  近所の付き合いも地域の縁も失われ、核家族化が進み、個のアトム化(孤立化)が加速する。人のつながりは希薄化し、他人との垣根は日に日に高くなっている。そして、人に頼るより、人を恐れる社会になっていく。  その結果として、日本では「他人恐怖症」の傾向が非常に強くなっている。ある調査によれば、「初めて会う人と話すこと」が苦手な人は63%にも上るという。  旅行サイトExpediaの調査で、機内で知らない人に話しかける割合は、日本人はたった15%で、堂々のワースト1位だった。トップのインド(60%)、メキシコ(59%)、ブラジル(51%)、タイ(47%)、スペイン(46%)と比べてもその差は歴然だ。  ちなみに日本以外の下位5カ国は、韓国(28%)、オーストリア(27%)、ドイツ(26%)、香港(24%)で、それでも日本とは、10ポイント近くの差があった。  一方で、機内の迷惑行為に対して、何も言わずに黙っていると答えた人の割合は、日本人では39%と、世界一「我慢強い」側面が浮かび上がった。

 

■「声をかけ合う、ちょっと話を聞いてあげる」それで人は幸せに  「人の健康や幸せを決定づける要因は食事でも、運動でもなく、実は人との関係性であり、心地よく安心できるつながりこそが人生の満足度を大きく高める」  ということは世界の多くの科学的研究から明らかになっている。孤独は、1日たばこ15本を吸う害悪に相当し、肥満やアルコール依存症の2倍、健康に悪いとされている。  虐待、貧困、いじめ、依存症、犯罪……。多くの社会的問題の根底には「孤独・孤立」という共通項がある。「孤独は美しい」などを美化する向きもあるが、そういう人は本当の「弧毒」の身を削ずるつらさを知らないのかもしれない。  家族や地縁、会社などという縛りの強いつながりが失われつつある中で、本来、社会的動物である人間(日本人)を救うのは、ちょっとしたおしゃべりのできる「弱い紐帯」というつながりなのかもしれない。  ちょっと声を掛け合う、ちょっと話を聞いてあげる、そんな関係性の中でも人は自分の存在を認められることで、十分に幸福感を感じることができる。  「他人」は毒にもなるが、薬にもなる存在だ。誰もが毒を恐れて、殻に閉じこもり、武装モードで固い殻を突き合わせてすり減らしあう社会はディストピアでしかない。殻を脱ぎ、心を許す関係性をつくることのできる場(コミュニティ)をどう作るのか。そして、人と人をつなぐ「コミュニケーション」という架け橋をどう築き上げるのか。  2つの「コミュ力」がこの世知辛い時代を生き抜く最強の「処世術」であり、日本社会再興のカギになるのではないだろうか。