自衛隊東京大規模接種センターの任務完了式であいさつする菅義偉前首相 Photo:JIJI
オミクロン株が猛威を振るい、新型コロナウイルスの感染者数は過去最多を更新。感染拡大「第6波」の到来は疑いようもなくなった。ここにきて、「菅政権のままの方が良かった」という声が自民党内や霞が関から漏れる。「菅おろし」当時に聞かれた厳しい意見もいまだ残るが、ワクチン接種を強力に進めたリーダーシップを再評価する声も高まっているのだ。(イトモス研究所所長 小倉健一) ● 自民党の幹事長経験者が悔やむ あと1カ月遅ければ菅首相のままだった 新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」の感染急拡大が、岸田文雄政権の後手に回るコロナ対応を浮き彫りにしている。社会経済活動との両立の鍵を握るワクチン供給が「第6波」に間に合わず、各地で連日のように過去最多の感染者数が確認されているためだ。 社会インフラへの深刻な影響も懸念される事態に突入し、自民党内からは「菅義偉政権のままの方が良かった」との声も漏れる。 自民党幹事長経験者の一人は今年初め、オミクロン株の猛威を受けて悔しさをにじませながらこう語った。
「歴史に『たられば』はないけれど、あと1カ月、自民党総裁選と衆議院議員の任期満了が遅ければ、ワクチン接種を強力に進めた菅前首相のコロナ対策に国民は拍手喝采で、当然ながら総裁選で再選を果たし、首相を続けていた。今の惨状を見ると残念でならない」 岸田首相が昨年9月の自民党総裁選に際し、説明力や発信力の不足を批判していた菅氏だが、首相在任中、ワクチン開発を担う米製薬大手トップらと粘り強く交渉を進めた。そして、河野太郎ワクチン担当相(当時)の下で周到な準備からワクチンの早期供給や追加供給につなげた。 日本国内のワクチン接種率(2回接種)は8月末に4割強に上り、9月末には6割弱、10月末には7割弱に達した。先行した欧米を上回る猛スピードで、1月18日時点では65歳以上の高齢者の約92%、全人口の約74%が2回接種を完了している。 国内のコロナ感染者数は2万5000人を超えていた8月下旬をピークに急減。緊急事態宣言がすべて解除された昨年10月1日時点で1500人ほどと、ピーク時の5%程度の水準にまで減少した。11月には感染者数が全国の合計で2桁にまで抑え込むなど、ワクチン効果が目に見える形で現れた。 ● 16都県で「まん延防止措置」適用 コロナ感染第6波の猛威 だが、昨年の秋以降、世界各地でオミクロン株の感染が急拡大した。日本でも1月9日に沖縄、山口、広島の3県に「まん延防止等重点措置」が適用され、1月21日には対象範囲が拡大。東京、埼玉、千葉、神奈川、群馬、新潟、愛知、岐阜、三重、香川、長崎、熊本、宮崎の13都県が追加された。 その他の地域からもまん延防止措置の適用要請の表明が相次ぐなど、感染第6波の猛威にさらされている。 岸田首相は昨年12月、米製薬大手ファイザーのアルバート・ブーラ最高経営責任者(CEO)と電話会談してワクチン供給の前倒しを要請した。しかし、12月から始まった3回目のワクチン接種率はいまだ全人口の1%程度にすぎない。 1月11日には、3月以降は医療従事者や高齢者だけではなく、一般の人も追加接種の対象とする前倒し策を表明している。ただ、世界で熾烈なワクチン争奪戦が繰り広げられる中で必要なワクチン量が十分確保できるのか、自治体はなお懐疑的だ。 経済官庁のある幹部官僚はこう語る。
「菅政権時代は1日最大140万回の超スピードでワクチン接種が進んでいた。本来ならば、岸田政権は感染が落ち着いていた昨年11月から医療従事者や高齢者の3回目接種を進めるべきだった。ところがワクチン調達に不安が生じたために遅々として進まず、第6波を迎えても人口の1%程度しか打てていない。菅首相は官僚が難色を示しても『責任は俺が持つから、とにかくやれ!』と大号令を出して関係省庁をフル稼働させたが、今の岸田首相にはそれがない」 ● 菅前首相がNHKの番組で語った ワクチン獲得を巡る「真剣勝負」 コロナ対応で衆院選間近に内閣支持率が急落し、「危機管理の要諦は、最悪の事態の想定だ。『たぶん良くなるだろう』ではコロナに打ち勝つことはできない」(当時自民党の政調会長だった岸田氏)などと失格の烙印を押され、退陣を余儀なくされた菅前首相。だが、オミクロン株の感染急拡大で社会インフラへのダメージが現実味を帯びる今、強力なリーダーシップで感染者数を急減させた「実績」には再評価の動きもみられる。 その菅氏は1月16日に放送されたNHKの番組に登場。インタビューで、霞が関省庁の縦割り打破や規制緩和を通じて「1日100万回」の目標を上回るワクチン接種体制を実現させたとした上で、ワクチン確保はファイザーのCEOを東京・赤坂の迎賓館に招待するなど「それだけ真剣勝負、厳しい獲得競争だったと思います」と回顧した。 首相の座に関しては「やはり権力には責任も伴うと思います。ですから、国民の声を聞いて、必要だと思ったものについては判断する。よく大臣になったらできないという人がいるじゃないですか。それではダメだと思いますね」と語っている。 もちろん、衆院選直前に自民党内の「菅おろし」に遭った菅前首相については厳しい声も残る。「官房長官時代の気心知れた秘書官たちをそのまま首相秘書官にスライドさせたことが失敗の要因だ」「判断ミスや拙速な判断がされていったのが一番の問題」(世耕弘成参院幹事長)などといった指摘だ
● 菅前首相を「副総理格」で迎えては? 閣僚経験者が提案 それらを反面教師としたのか、岸田首相は元経済産業事務次官を首相秘書官に据えるなど「霞が関のマネジメントはうまくいっている」との見方があるのも事実だ。 権力観も両者は異なる。岸田首相は同じNHKの番組で「権力というのは民主主義国家においては、多くの国民の皆さんに委ねていただいているものです。よって、この権力というのは国民の皆さんのために使わなければならない。国民の幸せのために権力を使うためにはどうあるべきなのか、これを考え続けていきたいと思います」と語っている。 強力に旗を振った前首相と、「聞く力」を自らの特長に挙げる現職宰相。閣僚経験者の一人は対照的ともいえる両政権について「菅前首相は官僚の説明を鵜呑みにせず、いろいろと自ら調べておいてスピーディーに決断を下し、行動に移す。岸田首相はじっくりと官僚や周囲の言うことを聞いてスタートを切り、より良い方法があると分かれば後に修正すればいいというタイプ」と評した上で、こうアドバイスする。 「感染力が強いオミクロン株の対策にはスピードが欠かせない。岸田首相はかつて批判した非礼を詫びて、感染抑制の『実績』がある菅前首相を副総理格で迎えるなど、ワクチン接種を強力に推進する体制を敷くべき時に来ているのではないか。感染が爆発すれば『国民の幸せのために権力を使っている』とは言えないのだから」 最高権力者の「聞く力」は、はたして有事にどこに向けられるのだろうか。