パラは一時参加を容認「直前で2カ国を除外するのは難しい」
五輪後からパラリンピック開幕までの国際スポーツ界の対応を簡単に振り返ってみたい。 2月24日 ロシアがウクライナ侵攻を開始 2月28日 IOC(国際オリンピック委員会)はロシアと、同盟関係にあるベラルーシの選手を国際大会に参加させないよう、国際競技団体や大会主催者に勧告 同日 FIFAはW杯予選プレーオフからロシア除外を発表 3月1日 国際フィギュアスケート連盟は3月末の世界選手権からロシアとベラルーシの除外を発表 3月2日 IPC(国際パラリンピック委員会)は北京パラリンピック大会にロシアとベラルーシの参加を容認 3月3日 IPCは2カ国を北京パラリンピックから除外 3月4日 北京パラリンピック開幕 各スポーツの国際競技団体がロシア、ベラルーシ除外の決定を下す中、IPCはこの2カ国の参加を当初認めるという驚きの決定をした。「直前で2カ国を除外するのは難しい」、「IPCのオフィスがあるドイツの法律に従ってこの決定をした」などの理由は、曖昧で説得力に乏しかった。納得した人は多くはないだろう。 IPCがこの未曾有の事態においてもスポーツと政治を切り離すべきと考えたのか、この2カ国を参加させることで五輪休戦が遵守されると期待したのか、それとも北京大会の組織委員会、つまり中国側の意見が反映されたのか、真偽の程は不明だ。
パラ開幕直前に“不可解だった”中露の不審な動き
中露の関係で気になることがある。 まずロシアが、パラリンピックの選手村が開く25日朝にはすでに入村し、午前中には練習を行っている点。ロシアがウクライナに対して軍事侵攻した際には、ロシア代表はすでに国を離れていた可能性が高い。 ロシアパラリンピック委員会(RPC)は、同じ25日にIPC会長宛にこのような声明を発表している。 「このような現状、またウクライナ代表の北京入りが困難な状況を遺憾に思っています。ウクライナの選手たちの成功を心から願っています」 政府のことは我関せず、という感じなのだろうか。 また、ほとんど報道されていないが、2月28日にロシアは中国とパラアイスホッケー(別称アイススレッジホッケー)の親善試合を行っていて、その点も不可解だ。 コロナ禍ではない通常開催であれば、事前合宿中に交流や親善試合をすることもあるかもしれないが、試合直前に、しかも実際に競技が行われる試合会場で親善試合が行われるのは極めて異例で、おそらく前例はほぼないと思う。 28日はIOCが国国際競技団体にロシアとベラルーシの除外を勧告した日でもあり、ロシアを取り巻く環境が厳しくなっていた。そんな状況下であえて大会前に中国との親善試合を行ったのは、その時点ですでに北京組織委員会がロシアとベラルーシの参加を認め、IPCに対しても何らかの働きかけをしていたからではないだろうか。 IPCは過去、ドーピング問題のあったロシアに厳しい姿勢を見せていたため、参加容認したことを意外に感じたが、北京組織委員会と中国側の働きかけに屈したようにも見えた。
「立ち向かうべき」IPCに“NO”と宣言したラトビア
IPCの決定に対して「NO」を突きつけたのは、すでに北京入りしていたパラリンピックに出場する選手たちだった。なかでも、最初に声を上げたのはラトビア代表だ。 彼らは車いすカーリングでRPC(ロシアパラリンピック委員会)とリーグ戦で対戦が予定されていたが、「RPCと同じ氷上には上がらない」と強い意志で試合放棄を示唆した。 ラトビアはバルト3国の1つで、バルト海に面し、ロシア、ベラルーシと国境を接する国だ。今回、ラトビアパラリンピック委員会に試合放棄に至るまでの経緯を問い合わせたところ、詳細な返答があった。 「(ロシア戦の試合放棄は)車いすカーリングチームの選手とコーチによって決定され、ラトビアパラリンピック委員会もこの決定を支持しました。ラトビア車いすカーリングチームは、ウクライナで起こっているすべての侵攻や戦争に対して反対します。我々は、すべての国の選手が、ロシアのウクライナ侵攻やこういった状況に対して声を上げ、立ち向かうべきだと強く思っています。 (試合放棄という)決断は、とても難しいものでした。試合放棄に関する話し合いは緊張感のある雰囲気で行われ、最終的にロシアとはプレーすべきではないという決定に至りました。ラトビア車いすカーリングチームのヘッドコーチ、アーニス・べイデマニスはウクライナのカーリングチームのコーチも兼任しており、彼も今回の決定に一役買いました。選手たちをこのような難しい決定を下さなければならない状況に置くべきではないとも思います。 代表選手たちは夢を実現し、北京パラリンピックの舞台にいます。ここまで困難もありました。試合直前にこのような状況が待ち受けているとは全く思いませんでした。彼らは持てる力を精一杯出してプレーしようとしています」 ロシア、ベラルーシと国境を接しているラトビアにとって、ウクライナの状況は他人事ではない。だからこそ「戦争に反対する」「選手も声を上げるべき」という声明が深く響いた。 また、彼らがボイコットを決断した理由には、心情的な部分以外にも、安全面での懸念も含まれている。当該2カ国の選手とウクライナ代表が、試合はもちろん、選手村でも遭遇する可能性もあり、互いの安全が守られるのかも不透明だった。事実、ラトビア代表によると、ロシア、ベラルーシの選手たちによって、選手村や練習場ではピリピリした雰囲気になることもあったという。
ラトビアのボイコット宣言が決定を覆した
ラトビアが声を上げると、同じ車いすカーリングで対戦予定だった韓国も試合放棄を示唆したほか、カナダ、米国をはじめとした多くのパラリンピック委員会が「2カ国の出場許可は遺憾」という声明を発表し、IPCに圧をかけた。 オリンピックのフィギュアスケートで15歳のカミラ・ワリエワのドーピング問題があった際も、「ボイコットして抗議するべき」という意見もちらほら出たが、個人競技において数名がボイコットしても大きく取り上げられない可能性もあり、そういった強硬手段に訴えることは難しかった。しかし団体競技でロシア以外のチームが試合放棄をしたら、そもそも大会自体が成立しなくなる。団体競技の選手たちが声を上げたことで、IPCや組織委員会も受け入れざるを得なかったのだろう。 パラリンピックという夢の舞台を諦めることはないだろう、政治的な発言はしないだろう、とIPCと組織委員会が選手たちをみくびっていたようにも思う。
北京入りすら“奇跡”…それでもウクライナ代表は大活躍
そのウクライナ代表は、ロシアによる爆撃で国内の空港が破壊されるなど、北京入り自体も困難を極めた。ウクライナパラリンピック委員会のバレリー・スシケビッチ会長自身もバスで二晩を過ごすなど、生命を守ることで精一杯だったという。 スシケビッチ会長が記者会見で「パラリンピックにたどり着けたのは奇跡だ」と表現したように、想像を絶する道のりだったことに違いない。 ウクライナ代表選手は4日、開会式の場所に移動する前に、選手村で「No War」と書いたプラカードを掲げ、戦争を止めるように訴えた。涙ながらに訴える選手たちを他国の代表選手たちが抱きしめる姿は、動画で世界中に伝えられた。 開幕からウクライナ代表はバイアスロンの男子視覚障害、女子立位でメダルを独占。金メダル8個を含む、23個のメダルを獲得するなど(3月11日時点)好成績を収めている。 「金メダルをウクライナに捧げたい」 「レースに集中するのが大変だけど、ウクライナがタフな国だと証明したかった。我々の国はまだ存在している」 ウクライナ選手たちは競技後にこうコメントしている。
ロシア代表「政治的な理由で我々は除外された」
一方、大会直前の除外によりロシアに戻ったロシア代表は空港でセレモニーを行い、集まった人たちに対して感謝の気持ちを述べるとともに、「政治的な理由で我々は除外された。世界最高の代表だったのに」という声明を発表するなど、除外の理由に納得していない様子が窺える。 スポーツの国際競技団体のほとんどがロシアとベラルーシの出場資格停止、もしくは除外を決めており、国際舞台への復帰は未定だ。 「スポーツと政治は切り離すべき」という建前を利用しようとしたロシア、政治的な理由ではなく人道的な観点からロシアに「No」を突きつけたラトビアやその他の国々。 両者の距離が縮まり、理解し合う日が来るのだろうか。