2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の重要人物であった北条政子や、豊臣秀吉の妻・おね、室町期の日野富子など、日本の歴史を動かした魅力的な女性を題材に、数々の傑作歴史小説を描いてきた永井路子さん。古代から幕末まで、日本史上で知られた女性33人の激動の生涯と知られざる素顔とは? 朝日文庫『歴史をさわがせた女たち 日本篇』から一部を抜粋・再編集して公開します。 清少納言は、紫式部と肩を並べる王朝の才女といわれている。しかも、紫式部が、彼女について痛烈なワルクチを言っていることは先にご紹介したとおりである。 「ひどく高慢ちきで、生かじりの漢文なんか書き散らすイヤーナ女!」 たしかに清少納言には、そう言われてもしかたのないところがある。たとえば、彼女の仕えている中宮定子(一条天皇のお后)が、ある雪の日、こう言った。 「少納言よ、香炉峰の雪はいかに?」 すると彼女はしたり顔で進み出て、定子の前の簾をスルスルと巻きあげ、大いにおほめにあずかった。というのは中国の古典に、 「香炉峰ノ雪ハ簾ヲカカゲテミル」 という文句があるので、それを実演してみせたのだ。その文章は知っていても、機転のきかない同僚たちは、ポカンとしてそれをみつめていたに違いない。 清少納言は、その著「枕草子」の中にトクトクとしてそれを書きつけているが、これなどもいや味といえばいや味である。 紫式部ならずとも、これでは胸がムカムカする。「枕草子」の中には、こんなふうにガクをふりまわす所がたくさんあるのだ。 清少納言のもう一つのご自慢は、ウイットに富んだ会話である。中宮定子の後宮には、高位高官がしきりに出入りするが、それらのご連中をむこうにまわして、いかに自分が気のきいた会話のやりとりをし、みなを感心させたか――。 知ったかぶりで、軽薄で、おめでたくて……まさに現代女性そのままの、清少納言!これが平安朝を代表する才女の実態なのか。 おしゃべりで、おっちょこちょいなサロン才女――これでは清少納言に敬意を表する必要はどこにもないではないか……私は長いことそう思っていた。 たしかに「枕草子」の中には気のきいたことがいろいろ書いてあるが、それも単なる機知以外ではないと。さらに何となく気にさわるのは、彼女が受領階層の出身でありながら、その連中について、実に冷たい書き方をしていることだった。
彼女は清原元輔という中級官吏の娘である。清少納言の「清」の字は、すなわち、清原家の出身であることをしめしている。父の元輔は「百人一首」のなかに、 ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ…… の歌を残している歌人だが、役人としては、あまりうだつがあがらず、六十七歳になって、やっと周防守(現在の山口県のあたりの地方長官)に任じられた。彼女は元輔の晩年の子で、少女時代、父に従って任地へ下ったらしい。 それ以後の人生経路は、はっきりしないが、同じくらいな階層の中流官吏橘則光と結婚し、何人かの子供を産んだあと、宮仕えの生活にはいり、とかくするうち何となく別れてしまったようだ。 こう見てくると、彼女は根っからの中流階層だ。にもかかわらず「枕草子」の中にこの階層の人間について書くとき、その筆は決して好意的ではない。 「センスがなくて、ことばづかいを知らなくて……」 とさんざんにけなしている。まるで宮仕え以来、彼女自身が上流貴族の仲間入りしてしまったかのようだ。 中宮とか、そのまわりにいる大臣などのことは、手ばなしのほめようなのだが、たとえば、何かの官にありつこうとして走り回る連中、つまり彼女の父親たちの階層の姿は突き放した目でみつめている。 髪の白くなった老人が、つてを求めて、宮中の女房の所へやって来て、自分にはこんな才能があるなどと、くどくど言っているのを、若い女房が小ばかにして、その口まねをするが本人は気がつかない――などというのは、現代に変わらぬ就職運動を描いてなかなか痛烈だ。 「こんなふうに、まるでひとごとのように書くのは、自分が上流階級にはいったつもりでいるからだ。つまり成り上がり根性だ」 学校でそう教わりもし、私もそう思いつづけて来た。 軽薄な、成り上がり根性の、いやな女――。 が、それだけだったら、私はこのシリーズに、彼女をとりあげはしなかったろう。 しかし「枕草子」を読んでいるうちに、少しずつ考え方が変わって来た。たしかに彼女は軽薄で、いい気なところのある女性だが、それとともに、彼女以外のだれにも与えられなかった、すばらしい天賦の才の持ち主であることに気がついたのだ。 清少納言だけに与えられた天賦の才――それは感性のするどさだ。宝石のきらめきとでも言ったらいいだろうか。
例をあげよう。彼女は「うつくしきもの」として、 「おかっぱの髪が、顔にふりかかるのをかきあげもせず、首をかしげて物に見入る子供」 をあげている。「うつくしきもの」とは現代の「かわいい」と「美しい」をかねたような意味だが、なにげないことばで、いかに巧みに、幼子のあどけない凝視を描きつくしているか、子供をお持ちのおかあさまなら、おわかりになるだろう。そして、この幼子の凝視は、清少納言自身の凝視でもある。 こうした、さわやかな感性をあげだしたらきりがない。そして、この部分にこそ、彼女の天分はあますところなく表われている。サロンの中での手がら話だけに目を奪われているとしたら、宝石の中から、わざわざ石ころをえらびとっているようなものだ。 かといって、私は彼女の軽薄さやおめでたさまで弁護しようとは思わない。ただ言いたいのは、人間にはそうした欠点と天分とが時として同居するということだ。紫式部が何と悪口を言おうと、彼女はホンモノの才女なのである。 では紫式部と清少納言と、どちらがすぐれているか? これはなかなかの難問だ。紫式部には一目一目編み物をしてゆくようなたんねんさがあるが、清少納言には、ずばりとナイフで木をえぐりとる鋭さがある。紫式部を、冷静な瞳と深い知識を備えた優等生型とするなら、清少納言は感性を武器にした天才型だ。 そう思って読んでみると、例の鋭く速いタッチの中に、ふしぎに透徹した非情さが、にじみ出ていることに気がつく。これは清少納言独特のもので、紫式部ではこうはいかなかったろう。じめじめした感傷をまつわりつかせないこの力量は、日本では珍しい感覚である。 これを、受領階級の悲しみを知っている清少納言が、わざと悲しみをおさえて突きはなして書いたのだ、という見方もあるが、少し考えすぎで、かえって彼女の本質をとらえていない読み方だ。 「顔で笑って心で泣いて……」 といったナニワ節調がないのが、清少納言の清少納言たるところなのだ。 彼女は、むしろ無邪気だ。その突き放した明るさが、たくまずして人生の真髄に迫るのだ。彼女はきっと、明るくて、多少おっちょこちょいな童女めいた女性だったのではないだろうか。が、童女の目が時としておとなより残酷に真実を見すえるように、鋭いきれあじで人生のベールをはぎとってみせてくれる。 私はむしろ、現代の女性の方々に「源氏物語」よりも「枕草子」をよむことをおすすめしたい。だいいち「源氏」よりずっと読みやすいし、現代に通じる警句があちこちに散らばっているからだ。 「めったにないもの、舅にほめられる婿、姑に思われるよめの君」 とか、 「憎いもの。急ぎの用の時長居する人」 などのケッサクがあるほか独特の恋愛美学もズバリと語られている。彼女には、美しいものとそうでないものを区別する、天才的な勘があったらしい。千年前に生きながら、彼女の感覚は今でもとびぬけて新鮮である。