韓国も嫌いだがもっともっと、もっともっと嫌いなのは中国だ!!!!! 中国、ロシア、北朝鮮は人類の敵だと思っている。 韓国も嫌らしいが、韓国はコロナ菌をばら撒いたり、変な気球をいろんな国に飛ばさない。 中国とかロシアとか北朝鮮なんか滅亡しろ!!!と思ってしまう。 でも中国、ロシア、北朝鮮が仮に滅亡するとアメリカがまた仮想敵国みたいな敵国を新たに作り出す。 田中角栄や竹下登も要らん事をやってくれたもんだ。。。
中国では「嫌韓」、韓国では「嫌中」…かけ離れていく心の距離
[寄稿] 北京万歩 パク・ヒョンスク|自由寄稿家 コロナで3年ぶりの「家路」 中国の家では「反韓」…韓国の実家では「反中」
韓国に行った。丸3年ぶりだ。中国北京からソウルまでの飛行時間は約1時間40分。その近い距離を回りに回って1泊2日もかかって到着した。北京から仁川(インチョン)までの直行便は週2回。日程を合わせるのも難しいが、チケットを手に入れるのは夢のまた夢だ。運よくチケットがあったとしても片道60万ウォン(約6万2千円)を超える高価な直行便を買うとなると、やはり躊躇せざるを得ない。 子どもたちを含めて3人の往復直行便のチケット代だけで400万ウォン(約41万4千円)余り。3年前までは3人の往復チケット代が100万ウォン(10万4千円)にもならなかった。オフシーズンには投げ売りのように出てくる格安航空を利用して、週末に隣町にでも出かけるかのように行き来していた空の道だ。コロナ禍の3年間、韓国への「家路」はいろいろな苦難の大長征になってしまった。 仁川行きの最も安いチケットを見つけるため、血眼になって検索に検索を重ねた。お金がないなら、少々疲れてもインターネット検索により多く時間をかけるしかない。3年も我慢して待ち続けたのだ。しばしの苦労は大したことではない。行けるなら地球を一周してでも行きたかった。幸い、目が血走る前に最も安い往復チケットを手に入れることができた。 行けるなら地球一周を回ってでも行きたいが… 高すぎる 北京から列車で最も近い地域の一つである山東省済南から出発する飛行機だった。済南から仁川まで週1回運航する直行便は朝8時5分の飛行機だ。出発前日の夜、北京から済南まで1時間30分ほどかけて高速列車で向かった。そして、再びタクシーで約40分の距離の空港近くのホテルに行き、6時間ほど滞在した後、午前5時頃空港に向かって出発した。いよいよ「家路」が少しずつ目の前に広がっていた。戦争で生き残った兵士たちの帰郷のように切実で、待ち遠しかった。 2022年12月7日の「新防疫10条」政策発表を基点に、中国政府はこの3年間実施した「ゼロコロナ」防疫政策を事実上放棄した。その年の11月中旬、「ゼロコロナ」防疫政策に抵抗するいわゆる「白紙革命」が起きた後、中国政府は固く守ってきた「ゼロコロナ」政策を捨て、一夜にしてすべての人民に「自由」を宣言した。毎日のようにやってきたPCR検査と陽性者隔離政策も消え、健康コードなしにすべての国内移動が自由になった。2023年1月8日からは海外旅行も許可された。夢か現実か見分けがつかないほど天地開闢のような変化だった。 1978年にトウ小平が「改革開放」政策を宣言した時、中国人が感じたであろう、言葉では言い表せないほど胸がいっぱいになるというのは、おそらくこのような心境ではなかろうか。10年間にわたり文化大革命という長い暗黒時代を生き延びた人々が一夜にして迎えた解放と自由に匹敵する喜びだった。「ゼロコロナ」放棄宣言は、中国人だけでなく中国と韓国にまたがる人生を生きていかなければならない数多くの在中韓国人と国際結婚の家庭に福音のような知らせだった。韓国への「家路」が再び開かれたのだ。 2022年12月以降、防疫政策が解除されるやいなや、まるで待っていたかのように14億の中国人のほぼ半分以上が新型コロナに集団感染した。北京では12月末ごろには感染の嵐が吹き荒れた。自分をはじめ、家族もその嵐の真ん中を通り過ぎ、「感染後完治者」となった。数多くの在中韓国人たちが韓国行きのチケットを予約し、続々と「家路」についた。しかし、中国内の大規模感染が始まると、日本を皮切りに韓国や米国など様々な国で中国人に対する旅行制限政策を実施した。そのうち、韓国政府が全世界で最も強力な水際対策を発表した。 韓国政府は、中国政府の強い警告と抗議にもかかわらず、中国発変異株の発生に対する懸念や中国政府の不透明な新型コロナ状況公開などを理由に、中国からの渡航者に対する極めて厳しい水際対策を取った。韓国人と外国人長期滞在者は空港から直接家に帰って24時間以内に近くの保健所でPCR検査を受けても良いが、(1月5日以前にビザが発給された)中国人短期ビザ所有者は空港から直接、特設のPCR検査場に移動し、1人当たり6万8千ウォン(約7千円)を払ってPCR検査を受けなければならなかった。検査の結果、陽性の場合は(韓国内の知人がいなければ)隔離施設に入らなければならない。中国国籍の息子は短期ビザを取得して入国するが、別に「分類され」PCR検査場に移動しなければならない。 THAAD配備をめぐる軋轢以降、最も激しい反韓感情 韓国政府のこのような政策は、この3年間、中国がすべての外国人入国者に対して行ってきた一方的で過度な入国制限政策に比べれば、まだましかもしれない。PCR検査なんて、中国に住む人なら、毎日のごとく受けてきた習慣のようなものだ。しかし、世界でほぼすべての防疫政策が解除された今頃、韓国政府だけが中国にビザ制限措置などを取るのはなかなか理解ができなかった。すでに国内防疫がほとんど解除され、変異が最も多く発生する米国や他の欧州諸国からもビザ制限なしに出入国が自由な状況で、中国人にビザ制限措置を取ったからといって状況がさらに悪化したり緩和されるとは思えないからだ。 中国内の世論はさらに沸騰した。1月5日以後、中国からの渡航者に対する入国制限措置や空港到着直後に中国人を対象にした「特別待遇」などについて報道が相次ぎ、中国のインターネットでは類例のない「反韓感情」が沸き起こった。特に20代と30代の若い世代が多く利用する「小紅書」などのようなインターネットコミュニティとプラットフォームで反韓世論があふれ出した。2014年、韓国の高高度防衛ミサイル(THAAD)配備をめぐる軋轢以降、最も激しい反韓感情だ。 特にいわゆる「K文化」に熱狂し、韓国に比較的友好的な感情を持つ中国のMZ世代(1980年代半ばから1990年代初頭に生まれた「ミレニアル世代」と、その後の1990年代後半から2010年の間に生まれた「Z世代(ジェネレーションZ)」の2つの世代を合わせたもの)の「裏切られた気持ち」が大きかったようだ。韓国に出発する前日、中国のインターネットを見ていた高校生の娘が「いま中国のインターネットのあちこちで韓国の悪口があふれている」としてびっくりしていた。小学校時代の中国人の同級生のソーシャルメディアにも「いま韓国に行く人たちはみな間抜けな売国奴!」という書き込みがあったと、泣きそうな顔をしていた。 1月9日午前8時5分。 山東省済南空港を出発した飛行機が韓国時間午前10時40分頃、仁川空港に無事着陸した。到着するやいなや入国審査に向かう通路には「中国からの渡航者」に関する案内文が貼られていた。他の国から到着した乗客とは異なり、「中国からの渡航者」は別の出入り口に案内された。そして、そこで再び中国人短期ビザ所持者と韓国人、外国人長期滞在ビザ所持者に分類された。短期ビザ所持者には黄色い札をかけながら「絶対にとってはならない」と言っていた。黄色い札をかけられたまま別に設けられたPCR検査場に移動した。私は未成年の息子の保護者として付き添い、軍人たちの案内で移動した。荷物を受け取り、また軍人たちの案内に従って入国ゲートを出ると、私たちは再び別の空間に隔離された。 私たちを待っていたのは軍人と防疫要員だけではなかった。出口には記者たちが待ち構えていた。彼らは大砲のような望遠レンズをつけたカメラのシャッターを切り続けた。中国のインターネットで「韓国に入国した瞬間、動物園の猿扱いされる」という怒りの投稿があったが、どういう意味だったのかようやく分かるような気がした。記者たちはPCR検査場の入口までついてきてしつこく写真を撮り続け、検査を終えて出てきた瞬間も「パシャパシャ」というシャッターの音が付いて回った。 中国のMZは「裏切られた気持ち」、韓国のMZは「興味ない」 3時間余り息子のPCR検査の結果を待っている間に見た大型テレビ画面では「中国からの渡航者たち」と中国内の新型コロナ感染関連ニュースが繰り返し流れていた。中国にいた時よりも韓国のテレビニュースでは中国内の状況が数倍は深刻に見えた。3時間あまり待った末、息子のPCR検査の結果は陰性だった。同じ飛行機に乗ってきた若い中国人カップルの結果も出たが、女性だけが陽性通知を受けた。ほとんど泣きそうな顔になったそのカップルが一緒に隔離施設に入ったのか、それとも彼女だけが入ったのかは分からない。私たちはついに「家路」につくバスに乗り込んだ。遠くて長い、疲労困憊の旅だった。 1月21日、旧暦の大晦日に3年ぶりに韓国の家族全員が集まった。2020年に新型コロナが初めて発生した年に大学生になった甥は、いつのまにか大学3年生になっていた。この3年間、ほとんどオンライン授業だけを受けていたため、大学で何を学んだのかも、卒業後に何をすればいいのかも分からないと、不安がっている様子だった。久しぶりに集まった家族の共通の話題は「中国」だった。驚くべきことに、家族全員が「反中感情」を示した。 韓国の代表的なMZ世代である大学生の甥の言葉がまだ忘れられない。「僕たちの世代は中国にあまり興味がありません。『アンムルアングン』(聞いてないし、別に聞きたくもないという意味の新造語)です。あえて中国に旅行に行きたくもありません。世の中に行く所がこんなに多いのによりによって中国に行く必要なんてないでしょう。中国はどうしてますますあんなに悪い国になっていくんでしょうね。 僕は嫌中ってほどじゃないけど、友達の中には嫌中感情を持っている子たちも多いですよ。だからといって、私たちが非理性的に反中や嫌中になってるわけじゃないと思います。これはすべて、中国がこれまで韓国のような力のない隣国に無礼に振る舞って独裁政治を強化した結果で、自業自得でしょう」 2月6日、再び中国に戻った。帰り道も来る時と同じ経路だった。 仁川から山東省済南に行き、また高速列車に乗って北京に向かった。韓国政府の中国からの渡航者に対する特別防疫政策とビザ制限措置が2月末まで延長されたことを受け、中国政府も韓国からの渡航者に対するPCR政策とビザ制限措置を取った。 あれこれ板挟みになっていたのは、私たちのように両国を日常的に行き来しなければならない一般市民だ。幸い、中国空港で実施する「韓国からの渡航者」(中国人は除く)に対するPCR検査は極めて形式的なものだった。口の中にそっと綿棒を入れられただけで、検査結果を待たずにすぐ出てくることができた。韓国メディアは「報復措置」だと大々的に報道していたが、「かわいい」程度の報復だった。この3年間、恐ろしい「ゼロコロナ」政策にも耐えてきたから、隔離なしにすぐ家に帰らせてくれるだけでもありがたかった。 韓中の喧嘩のとばっちりを受ける一般市民たち 入国審査を待っている間、3年ぶりに故郷の山東省に帰るという中国人労働者に会った。 韓国の建設現場で働いているという彼は、3年ぶりに帰郷する人にしては意外と淡々とした表情だった。彼はこう言っていた。「世の中がどうしてこうなったのか、いまでもよく分かりません。韓国にまた戻りたいかって? どうかな、しばらくは戻りたくないです。中国人を露骨に見下して無視しているという印象を受けたから。それでもお金を稼ぐためにはまた出稼ぎに出なきゃならないけど、しばらくは家に帰ってゆっくりしたい」 いずれも3年ぶりにそれぞれの険しい道のりを経て、韓国と中国の「家路」についた。私には物理的な距離よりも韓国と中国の間で離れてしまった心の距離の方がはるかに遠く感じられた「家路」だった。家に帰った数多くの「私たち」と「彼ら」、そして韓国の入国場で陽性通知を受けた中国人カップルは、今頃みんな家でゆっくり休んでいるだろうか。 北京=パク・ヒョンスク|自由寄稿家(お問い合わせ japan@hani.co.kr )