「船の上では、毎日が夢のようでした」しかし…
「夫が亡くなってから、いろんなことを一人で決めなきゃいけなくなりました。でも、これだけは私のわがままとして通させてもらったんです」 そう語るのは、神奈川県在住の田辺美代子さん(仮名・62歳)。大手メーカーを定年退職した直後、50代で亡くなった夫との思い出を胸に、“一人旅”に出る決意を固めました。 退職金は約1,800万円。これに年金(月20万円程度)と長年の預金を加えれば、しばらくは働かずに生活できる見込みでした。けれど、「生活を楽しみたい」という思いが強く、決めたのは約120日間にわたる世界一周クルーズ。費用は約350万円でした。 「船の上では、毎日が夢のようでした。昼は寄港地での観光、夜はドレスアップしてディナー。こんな贅沢、人生で初めてだったんです」 同年代の乗客との会話も楽しく、寄港先で撮った写真を日記に貼るのが日課になりました。イタリアの街並み、ギリシャの青い海、アラスカの氷河。どれもが「一生に一度」の思い出になるはずでした。 しかし、旅の終わりに差し掛かったある日、ふとした疑問が胸をよぎります。 「この先、私は誰とこの思い出を分かち合えばいいんだろう」 豪華な旅のあとの日常は、驚くほど静かでした。帰宅しても、誰も迎えてくれる人はいない。旅先での写真を見返しても、それを話す相手がいない。
「帰ってきた日の夜、テレビをつけても何も頭に入ってこなくて。ただ静かな部屋で、“ああ、もうこういうことって誰とも共有できないんだな”って思ったら、涙が出てきて」 クルーズにかかった費用だけでなく、その後も「せっかくだから」と豪華な外食や国内旅行を繰り返した結果、1年半で使った金額は約900万円にものぼりました。
「もっと誰かとつながっていれば…」
「あのとき、もし誰かと一緒に旅をしていたら、今でも思い出を語り合えたかもしれません」
旅そのものに後悔はないとしながらも、「使ったお金以上に、時間と人とのつながりをどう築くかを考えるべきだった」と振り返ります。 「別に、子どもがほしかったとかじゃないんです。けれど、地域のサークルでもいいから、もっと人と関わっておけばよかったかなって。今からでも遅くないとは思っているんですけど、やっぱり孤独って、急に押し寄せてくるんですよね」 内閣府『高齢社会白書(令和6年版)』では、65歳以上の高齢者のうち約半数が「孤立死を身近に感じる」と回答しています。誰にも看取られずに亡くなることへの不安が、高齢期の現実的な懸念として広がっていることがうかがえます。豊かな資産があっても、それだけでは“幸福な老後”が保証されるわけではありません。 現在、美代子さんは近所のボランティア団体に参加し、週に数回、子ども食堂の手伝いや高齢者施設への読み聞かせ活動をしています。 「今は“誰かの記憶に残ること”を大切にしたいと思っているんです。あの旅で得た贅沢も思い出だけど、今の時間もちゃんと“贅沢”だって思えるようになりました」 退職金を使って世界一周をした美代子さんのように、「自分のために」お金を使う老後も決して間違いではありません。ただしその先に何を得るのか、どんな気持ちで日々を迎えるかによって、豊かさの感じ方は大きく変わるのかもしれません。 「お金は使えば減る。でも、心の中に残るものは、案外ずっと残るものなんですね」
THE GOLD ONLINE編集部