プロヒューモ事件のその後
プロヒューモ事件のその後
プロヒューモ氏は事件のその後は、コツコツと真面目に貧乏な人達に寄り添い、
エリザベス女王から名誉回復をされている。
プロヒューモ氏のけじめのつけ方(三橋 規宏)2009年4月
スキャンダル失脚後の決意
それからもう3年が過ぎたが、最近モラルなき政治家や経済人の犯罪が話題になるたびに、ジョン・プロヒューモの温和な顔を懐かしく思い出す。彼を知る大多数の人々の記憶の中では、プロヒューモといえば、英国史上最大のスキャンダルにまみれた傲慢な男としての印象が刻み込まれているだろう。しかし彼にはもう一つの別の顔があった。スキャンダルで政界を引退した後の身の処し方を通して、紳士としての名誉回復にその後の生涯をかけた男の顔である。
私は、1985年3月から約3年間ロンドンに駐在した。英国病の克服に立ち上がったサッチャー首相の号令の下、ロンドン・シティは金融ビッグバン(英証券取引所の大改革)真っ盛りの時代で、その取材に追いまくられていた。
そんなある日、「タイムズ」だったと思うが、プロヒューモの社会奉仕家としての近況を伝える小さな記事が目にとまり、おやっと思った。あのプロヒューモのことなのかと。
プロヒューモ事件といえば1963年に発覚した英国最大の国家機密漏洩スキャンダルで、日本の新聞も大きく取り上げた。それからすでに50年近くの歳月が流れており、今の若者のほとんどは彼の名前さえ知らないだろう。事件の概要を簡単に振り返っておこう。
プロヒューモは1915年、イタリア系貴族出身のアルバート・プロヒューモ男爵の子息として生まれた。パブリックスクールの名門ハロー校を経てオックスフォード大学に学ぶ。絵に描いたようなイギリス貴族の教育を受けた後、25歳で下院議員に当選、英国史上最も若い国会議員になった。60年7月、保守党を率いるマクミラン内閣の陸軍大臣に就任、45歳の若さだった。当時、マスコミは「次期首相候補の最短距離にいる男」ともてはやし、プロヒューモは人生の絶頂期にあった。
そんな時、彼は21歳になったばかりのコール・ガール、クリスチーヌ・キーラー嬢と出会い、親密になる。一方、キーラー嬢は、駐英ソ連大使館付武官、エブギェーニ・イワノフ大佐とも情交を重ねていた。このことが発覚し、マスコミは「現役の陸軍大臣がソ連武官と女性を共有することで、英国の国家機密がソ連に漏洩したのではないか」と激しく追及した。
1963年3月22日、プロヒューモ陸相は議会の要請に応じ、釈明のための演説をした。
「キーラー嬢と私との交友関係にはなんらの疚しい(不道徳な)ことはない」
この一言が彼の命取りになる。この段階で、マスコミや一部の野党議員の中にはすでにスキャンダルの証拠を握り、「プロヒューモは嘘つきだ」と糾弾した。
10週間後の6月4日、プロヒューモ陸相はマクミラン首相に手紙を送り、議会での偽証を全面的に認め、陸相辞任を含め一切の公職から身を引くことを伝えた。以上が英政界を揺さぶった世紀のスキャンダル、プロヒューモ事件の大筋である。
●政界引退、貧民街で奉仕活動
私が関心を引かれたのは、事件そのものではなく、事件後のプロヒューモの身の処し方、責任の取り方だった。特に閣僚といった権力の頂点に立った者が過ちを犯した後の人生の過ごし方である。
彼は政界引退後、しばらく静養と称して自宅に引きこもり、これからの人生をじっくり考えた。10カ月後、プロヒューモはロンドン・イーストエンドにある貧民救済施設「トインビーホール」で働く決意をする。
イーストエンドはロンドンを代表する貧民街である。浮浪者、アルコール中毒患者、西インド諸島からの流れ者などの吹き溜まりになっていた。地理的には、テームズ川沿いのドッグランドの北側に位置し、昔からユダヤ人やユグノー教徒(フランスの新教徒)、ロシア、ポーランドなどからの亡命者の逃亡先としても知られていた。
プロヒューモにとって、イーストエンド訪問は恐らく初めてだったに違いない。金持ち貴族の子息としてエリート教育を受け、権力の中枢を歩み続けた男にとって貧民街の存在など視野に入らなかったはずだ。
トインビーセンターで、彼は、台所の皿洗い、床掃除から人生のやり直しを始めた。呑んだくれのアル中患者の世話も厭わなかった。陸軍大臣という権力の頂点を極めた人間にとって、これはきわめて苦しいつらい体験だったに違いない。しかし彼は黙々とそれに耐えた。
なぜ、彼はこのような選択をしたのだろうか。この点について、彼はかたくなに説明を拒んでいる。
●ノブレス・オブリージの精神
プロヒューモは、偽証した自分自身が許せなかったのである。「魔がさした」としか言いようのない偽証によって紳士としての名誉を失墜させてしまったことは、エリート教育を受けてきた彼にとって悔やんでも悔やみきれない痛恨事だったに違いない。金持ちの特権を利用して快適な余生を送る選択もあったはずだが、それを拒否し、あえて厳しい道を選んだ本当の理由は、「紳士道に反した自分を罰したかった」のではなかったかと私は推測している。
「ノブレス・オブリージ」という言葉がある。高い身分に伴う義務といった意味の言葉である。高い地位にある者は、絶えず己れの身を正しく律し、いやしくも他人から後ろ指をさされるような行為は慎むべきであるという文脈で使われることが多い。英国のエリート教育では、この点を徹底的に教え込む。英国が紳士の国といわれるのも、この精神がいまなお健全に息づいているためだろう。プロヒューモの生き方に、真のエリート教育を見る思いがする。
トインビーホールでの下積み生活を何年かした後、彼はホールの財政基盤強化の仕事を引き受け、71年11月に「アトリー基金」をスタートさせた。この日、エリザベス女王がセンターを訪れ、プロヒューモを激励した。彼が人生のやり直しを始めてから8年の歳月が流れていた。
●女王陛下から騎士の称号
75年の年頭、彼は「大英帝国騎士」の称号を与えられた。イーストエンドでの長年の地道な社会奉仕活動が評価されたのである。デイリー・ミラー紙は、「赦された、女王陛下がプロヒューモの名誉を回復された」と大きく報道した。
95年、サッチャー元首相の誕生日の夕食会で彼は、エリザベス女王の隣に着席し、英国を代表する社会奉仕活動家としての地位を不動にした。
私は、「名誉回復に人生を賭けたプロヒューモ」という記事をロンドン駐在の卒業論文にしたいと思っていた。だが、金融ビッグバンの取材に忙殺され、彼にインタビューする時間がなく、結局書かず仕舞いで帰国する羽目になり悔いが残った。
それから2年後、たまたまロンドンに出張したさい、わずかな時間だがプロヒューモに会うことができた。
ロンドン・ストライプのワイシャツ(白地に紺の縞のあるワイシャツ)にグレーのダブルをきちっとまとい、英国紳士とはかくあるべしといった風情で現われた。すでに76歳、頭は禿げ上がり、残る鬢にも白いものが目立つ。
柔和な表情で、「私のような過去の人間をどうして訪問しようとお思いになったのですか」と静かに問いかけられた。当時、リクルート事件が発生し、政治家や企業家の倫理観、責任感が問われていた。「あなたの責任の取り方を日本人に知ってもらいたいのです」と答えると、彼は黙ってうなずいた。
私が「日本の政治家に捧ぐ、女王陛下に赦された男、プロヒューモ─すさまじいケジメのつけ方」を執筆したのは、日経本紙ではなく、出版局が出していた日経ムック「フォーテイ・ラブ」の誌上だった。
その日経ムックも廃刊されてすでに久しい。
みつはし ただひろ会員 1940年生れ 64年日本経済新聞入社 経済部記者 ブリュッセル特派員 ロンドン支局長 日経ビジネス編集長 出版局次長 論説副主幹などを経て 2000年から千葉商科大学政策情報学部教授 専門は環境経済学 環境経営学など
ケンブリッジ ファイブのキム・フィルビー
ケンブリッジスパイつうかケンブリッジファイブというケンブリッジ大学出身のスパイがいた。
その中のキム・フィルビーと言う男性はソ連の切手に顔が載っているし、死んだときは国葬までなっている。
このキム爺は女好きで4回?5回?も結婚をして、奥さんたちの一人の女性はケンブリッジスパイの仲間の奥さんで、ソ連に逃亡をしている仲間の奥さんと不倫をしている。
このキム爺は人当りが良くて、大体の人がキム爺に惚れてしまうか、信奉をしてしまう何かをもっていた。
実際のキム爺は人当りの良さとは裏腹に相当あくどい性格で、MI6の仲間をソ連に売って、拷問や処刑をさせている。
見た目はソフトな感じで、誰でもがキムが好きなってしまう
キム爺の子供も4,5人いるみたいだけど、この子供達は現在70歳~75歳ぐらいになっているようだ
今は何をしているのか知りたい
ケンブリッジ・ファイブの一人に今のエリザベス女王のお母上の従兄にあたる人もいた。
その人はサッチャーさんが首相の時に「サー」を取り上げられている。
当たり前だわ、遅すぎーー!!!
ケンブリッジ ファイブつうかケンブリッジやオックスフォード大学卒って「俺たちって、選ばれし人間」などと思ったのかなぁ
イギリスってプロモヒューモ事件ていうのもあった
平和ボケした休みばかり多い日本は大丈夫かーー?
ぜんじろうを河野行革担当相が〝ブロック〟「河野大臣に対する批判はダメ、ってことなんですね」←自民党批判ではなく芸で名前を売ればいいのに
「ぜんじろう」なんって芸人なんか知らないわ 安倍や菅首相や河野太郎ちゃんを批判をしては芸ではなく批判で有名になった人 元NHKの腋臭のアナウンサーも同じ事をしている。 他のバカ女アナウンサーも自民党さえ批判をしていれば安泰だから筑紫哲也、久米宏などがやってきた事を付随して同じ事をやっている。
こいつは気分が悪くなる嫌なメールを送り付けるストーカーみたいな奴
安倍が退陣したから今度は河野太郎に目をつけた
自民党や安倍や河野や菅を批判をすればバカで売国奴のマスゴミがすぐに反応をして記事にしてくれるから、安倍を批判してもダメだから河野に移ったんだ
自民党批判よりも芸で身を立てろ
落ち目の芸人や芸能人やプロレスラーやまったく名前が売れていない芸人が自民党や安倍や菅や河野太郎を批判をして注目を浴びろうとする、こすからしい根性
ぜんじろうを河野行革担当相が〝ブロック〟「河野大臣に対する批判はダメ、ってことなんですね」
竹中平蔵氏、中国社会でひそかに「大人気」になっていた←他者のコメント
日本を今のデフレ不景気に陥れた張本人の1人。構造改革をうたい、民間委託させては自分の会社のパソナがかっさらっていく。その為に、日本は財政危機だと国民に思わせ、プライマリーバランス黒字化(収入に見合った支出)を推し進めた。今の消費税増税もここから来ている。国の財政と家計を同じではない。政府の赤字が民間の黒字なのは、他の国々の財政出動とGDP増加比率を見れば明らかである。また、日本を先進国モデルから後進国モデルに置き換えたのもこの竹中平蔵。先進国は公共投資すれば自国で何でも出来るからGDPが増える。しかし後進国は外国企業に入ってもらって公共事業をする為あまりGDPが増えない。竹中平蔵は敢えて日本を後進国モデルにして、公共投資を減らすように持っていった。菅総理が就任後に真っ先に話をしに行った1人である。いい加減、竹中平蔵を政権内部から外して、財務省を作り変え、日本を立て直す政治家は現れないのか?
グローバリスト=共産主義者という点で一致するのは理解できるな。
中国と共鳴できるってことは、竹中は生粋のグローバリストで日本破壊者だという証明だな。
「ライオネルクラブ」と「ベイビブラザー」を見てイギリスって傲慢で最低な国だと思ったわ、特に貴族とか金持ちに反吐が出る
イギリス映画の「ベイビ ブラザー」を見て感じたことは、
やるせなさ
せつない
どうしょうもない理不尽さ
悲しみを見終わって感じた
イギリスと言う国は、貧乏人が多いんだ
イギリスは縦割り社会で貧乏人はどれだけ努力をしても出世が出来ない
どうしょうも無く腐った国だということ
日本の皇族の方達は国民に寄り添うことを生業としているが、
イギリスの貴族の傲慢で腐った根性には反吐が出るわーー
あと最近見てイギリスの上層部社会の腐った事
オックスフォード大学の実際にある「ブリンドンクラブ」をモデルにした
ライオネルクラブという映画を見たけど、イギリスと言う国が大嫌いになったわ~~
中国が台頭してきたらイギリスと言う国は、エリザベス女王始め貴族や有名大学が
しっぽを振って愛想を振りまいていた。
タイの王室もイギリス王室も似たようなモノかも
“与野党伯仲”状態だったら、自民党は石破茂さんを選んだ/中村喜四郎インタビュー〈AERA〉←墓場のゾンビのような人にインタビューかーー
なんで忘れられた墓場の中のゾンビのような人をAERAは出してくるんだろう
この人もこの人だ
なんで出てきて批判をするんだろう
田中真紀子もしゃしゃり出て批判をしていた。。。
よほど、議員に未練があるんだろうね・・・
見苦しいということが判らないお人のようだ
」昔だって石破さんは選ばれないわ~~~
石破擁護の人って芸人でも芸能人でも、「俺は他人とは違うんだぞーー」というスタンスを取って、斜に構えて「オレってニヒルだろう」という演出をムンムンと感じるけど
石破擁護のマスゴミや芸人、芸能人って筑紫哲也や久米宏や元NHKの腋臭のアナウンサーなどと同じで、叩きやすいモノや人物や政党を叩いている図式が出来ている