独自に「非常事態宣言」を発表 なぜ岐阜県は迅速に動けたのか

 
古田 菜穂子
 

© Forbes JAPAN 提供 思えば、1月末にロサンゼルスに出張した際は、この街がその約1カ月半後に封鎖されるとは考えてもみなかった。帰国便のなかでも、マスクをしているのは私を含む日本人をはじめとするアジア人のみだった。

2月初旬、ロンドンで日本の文化やものづくりなどを紹介している「JAPAN HOUSE LONDON」のディレクターが岐阜に来県し、次回の企画展示について話し合った。すでに、ダイヤモンドプリンセス号内での新型コロナウイルス感染が連日報道されていたが、東京にも数回出張した。

日本は収束どころか混迷状態

そんななか、イギリス在住の知人女性から、3月中旬の日本への旅行について相談を受けた。「日本に行っても大丈夫か?」というものだった。感染の波がじわじわと世界を浸食し始めていたのだ。結果、2月21日に、彼女から日本行きのフライトやホテルをすべてキャンセルしたとの連絡が入った。

その頃、イギリスでは日本を含むアジア9カ国から入国した人間は、全員が自主検疫を義務付けられ、2週間は外出禁止という厳しい対応が始まっていた。彼女からは、イギリスに比べ日本の対応の甘さを指摘され、新型コロナウイルスを甘く見てはいけないと、連日忠告を受けていた。

同じ頃、東京のツアーコンダクターの友人からは「フランスへのツアーを会社がキャンセルにしない。どうしたらいいのか?」という相談があった。欧州での対策やアジア人への風当たりも厳しくなっているので、会社に催行中止を訴えたとのことだが、「客がいる以上は行ってくれ」との返答だったとか。大手の旅行会社でも、まだそんな感じだった。

その後、フランスから帰国した彼女の報告では「現地には日本の大学生が卒業旅行でたくさんいた。まさにノーテンキとしか言いようがない」という話ももたらされた。ちなみに、その後予定されていたイタリアとスペインへの団体旅行は、3月10日にやっと中止になったとのことだった。

日本の旅行会社は、あの頃、どれくらいこの新型コロナの感染に危機感を持っていたのだろうか。どうしてもっと海外からのリアルな情報を得ようとしなかったのだろう。もしくは情報は得ていても、結局、国の指示がないと何も動けないということだったのだろうか。私は、ひとり焦燥していた。

その頃の日本について、前述したイギリス在住の知人は「日本は収束どころか混迷状態」と表現していた。その後、欧州の主要な国々で都市封鎖され、5週間以上が過ぎた。まさに「非日常が日常になる」という状態となった。

そんななかで、私が観光のアドバイスをしている岐阜県ではどうだったか。実は、岐阜県は、平成30年9月に発生した1年半以上に及ぶ「豚コレラ感染」時の危機管理対策の経験が、今回の「新型コロナウイルスの感染拡大」でも活かされ、特に厚生労働省(国)との交渉、独自対策の迅速な実行などに顕著に現れた。

岐阜県での最初の感染者の発生は2月26日、その翌日に発生した2例目は1人目の人の濃厚接触者だった。その後、3月上旬に海外旅行に行った人が17日に3例目の発症者となるまで感染者は出ていなかったのだが、その間、岐阜県の古田肇知事は感染拡大を見越して、厚労省とPCR検査キット獲得などについてのハードな交渉をし続けていたという。

「豚コレラの時の対応から、今回、どうなるかは目に見えていたからね」とは知事の言葉だ。

県独自の予防策を発表

そして3月21日、オリンピック・パラリンピックの延期が決まると、東京都など各地の発症数が急増し、小池百合子都知事なども自粛要請強化に動き始めた。同時に岐阜県の発生件数も一気に伸びて行く。「一気に伸びた」というのは、岐阜県にはその時点で検査キットがそれだけ多く用意されていたということでもある。

クラスター(集団感染)発生という判断、その時点での濃厚接触者のピックアップなど、言うは易しなのだが、組織的な動きが機能していないと対応は簡単ではない。感染経路を明確にし、検査を組織的に促すことで、必然的に一旦は感染者数の増加となるが、迅速に隔離治療することで、結果的にはクラスターの発生を阻止できるのだ。

一方、感染者の増加とともに、県内の旅館、ホテルへのインバウンドはもちろん、国内からの観光客も一気に減少した。県内の旅館、ホテル経営者は相応に悩んでいたが、それでもまだ3月いっぱいは完全休業していなかった。春の地元の祭りまでにはという淡い希望もどこかにあったのだと思う。しかし、現実はそんなに甘くはなかった。

すでにクラスター化も始まっていたので、県民の安全のためには、国の指示を待つのではなく、知事に具体的に示してもらうしかないと観光業者は思い始め、私も知事と何度も話した。私は宿泊者がほとんどいなくなった旅館対策として、当初は経済対策的なことを考えていたのだが、知事からは、これを機に旅館も社会貢献としての役割を考えてみるべきではないかとのアドバイスをいただいた。

一方、ソーシャル・ディスタンシングがまったくできていないこと、換気もままならない古い県庁舎で、すし詰め状態で朝から晩まで仕事をしている県職員こそが危ないと伝えると、翌日の4月3日、知事は「岐阜県民のすべての皆様に」と題したメッセージとして、県独自の感染予防策を発表したのだ。

感染から発症するまでの期間を考慮し、4月4日から19日までの2週間の不要不急の外出を控えることや、3密の徹底的な回避要請、県直営施設の完全休館等に加え、注目すべきは、翌日から県職員の半分程度を在宅勤務とするという指示が出されたことだ。

突然のことで職員は大慌てだったが、前日の対話で知事の本気度を肌で感じていた私は、内心「知事、すごい」と思っていた。その発令がその日にできたということは、事前に内容を固めるための組織的な動きを行っていたということなのだから。

県庁が率先して進めるということは、感染が広がりつつあるのに欧米のように自粛できない県内の中小企業に向けての在宅勤務を促す強いメッセージともなった。心ない批判もあったが、歓迎の声も多々あった。隣県からは「岐阜県民がうらやましい」との声もでた。この時点での感染者は36人だった。

「緊急」ではなく「非常」事態宣言

© Forbes JAPAN 提供

岐阜県の古田肇知事

この後、感染者数が爆発的に拡大したが、それは3月下旬に岐阜市内の夜の街に繰り出したグループが発症し、新たにクラスター化したことが主な要因だった。たった1店舗の発生から、健全に営業を続けていた商店街のほぼ全店舗が休業しなければならないことになってしまった。そんな状況等を踏まえ、1週間後の4月10日、知事はより厳しい内容の「非常事態宣言」を発表した。これが政府による「緊急事態宣言」と異なるものであることを知っている人は意外に少ない。

「緊急」と「非常」の違いがどこにあるのか? 思い出してほしい。政府が緊急事態宣言を発令したのが4月7日。その際の対象地域となったのは東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県だけ。愛知県などが対象に入らなかったことで話題になっていたが、その3日後に岐阜県が出したのが「非常」事態宣言だった。

それまでの内容を抜本的に見直し、検査の徹底や病床の確保、事業者の資金繰り支援のための制度融資や補助金の創設などを新たに盛り込んだ。政府による緊急事態宣言とは異なる独自の総合対策で、政府に対して特措法の対象地域に追加することを求めてはおらず、特措法の宣言と誤解しないように「非常事態」と呼ぶこととしたとのことだった。

発表から4日後の産経新聞の夕刊コラムでは、「緊急とは『重大で即座に対応しなければならないこと』、非常は『普通でない差し迫った状態、変事』のこと」とし、「岐阜県が出した「非常事態宣言」の結果に注目したい」と紹介されている。コラムの筆者も述べていたが、私も、「緊急」では、住民の当事者意識が芽生えづらいのではないかと感じていた。

その後、県内施設や店舗等への休業協力金の支給金額が発表されると、県庁に設置された専用電話は1日中鳴り続けた。発表翌日の17日は約3000件、18日が2000件、その後も日に1000件と続く。

その対応には、県庁の各部局の職員が土日返上であたっている。なかには、職員に対してひどい言葉などを浴びせる電話もあったということだが、皆それに耐えていた。ある職員が「豚コレラ対応時には豚の処理の仕事が本当に辛かったが、今回は命を助けるためだと思えば耐えられる」と言っていたのが印象的だった。

たぶん、こういった状況は、程度の差はあれども、全国各地で似たようなことが起きているはずだ。休業を余儀なくされた人々は、例えば従業員への給料や店舗の家賃など目の前のことごとに翻弄されている。まして、今回は「先行きが見えない」という大きな不安のなかにある。でも、だからこそ、まずはこの現状を受け止めたうえで、「未来を見つめ、いま、自分ができること」を、行政も民間もしっかり認識すべきだと思うのだ。

何よりいまは、ひとりひとりが「感染しない、させない」ための「命を守る」時期でもある。しかし、この「耐える時期」にこそ、それぞれが自分の意志で、自分の居場所で、その先を見越していくことが、各々の「未来」をつくることになるはずだから。

連載 : Enjoy the GAP! -日本を世界に伝える旅